2013年4月26日金曜日

Evolution? or Devolution? どこまで進化する機材?果たしてその進化は必要なのか?第1弾:変速機の”家電化” 、進む開発合戦、ユーザーフレンドリーとは誰のため?

ここ数年でロードレース界の機材は一変した。電動変速機に油圧式ブレーキ、ディスクブレーキなど飛躍的に技術革新が進んだ感がある。しかしそれは一体どこを目指してのものなのか、その進化は誰のためのものなのか、はたして必要な物だったのかという部分は殆ど議論されたことがない。ただ大手メーカーの新製品は最先端技術なんだという先入観に感化されているだけではないのか?そんな疑問を口にすることさえ業界内ではタブーとされている。それほどまでにメーカーの力が強い特異な業界、ならばあえてここでタブーとされていることを考えててみたいと思う。

まずは電動変速機から見てみよう。急激に普及した感のある電動変速機だが、幾つものメーカーが実は何度となく挑戦をしてきた過去がある。しかしながらその信頼性を向上することが出来ずに、普及することはなく、儚い夢と終わってしまった。そして当時の果敢に挑んだメーカーの幾つかは、その事自体が原因の一端となりコンポーネント開発からの撤退を余儀なくされた。

しかしそれでも変速機の多段化が進み、変速機の進化の方向性が限られてきたこともあり遂に電動変速化は本格化していった。今の変速機の電動化を一言で表すとするならば ”家電化”という言葉が一番当てはまるのではないだろうか。つまりはすでに機械ではなく家電の領域に大きく足を踏み込んでいるのだ。

さも当たり前のように電動シフターが市民権を得つつある中で、ふといくつかの疑問が頭をよぎった。まずはなぜ電動シフターが必要なのかということだ。電動ということはつまり電源がなければその機能は有効ではないということだ。また電池で電源を賄うのだが、電池が重いのも難点だ。つまりは電源がなければ変速機は”不便な道具”、電池は単なる重りでしかないということだ。

まずはレース界では電動化は複雑な受け入れられ方をしている側面がある。まずはメカニックからすれば、電子パーツの故障など対処できない部分が増えたことだ。またレース中にトラブルが起きた場合には、その場での調整や修理がほとんど効かず、ただ単純に機材の交換を余儀なくされることがほとんどである。レース中でなくとも、修理と言うよりは家電と同じく部品全体を交換せねばならず、そこには実は基盤や電子パーツ同士の’相性’というものも存在する。また専門的知識が必要なだけでなく、互換性が少ないのもデメリットだ。

レースとは人間同士の勝負である、そこに不可抗力でどうしようもないトラブルが起きた際には、選手たちは怒りの持って行き場がないだろう。昨日のジロ・デル・トレンティーノでも、チームスカイのエース・ブラッドリー・ウィギンスが勝負どころで電動変速機の原因不明のメカトラブルに見まわれ、怒りを爆発させ、その後も怒りが収まらすコメントを拒否している。ワイヤー式であれば、今回のようにトラブル即走行不能ということはなかったのではないだろうか。そもそもワイヤー変速であれば、シフティングの上手い下手の差が付く部分がある。つまりは乗り手の技術差が直接勝負に反映される。そして選手の精神状態などでシフティングミスなどが起きる可能性もより高く、人間味が犯すミスが勝負を左右する部分がある。しかしそれが電動になれば、誰が操作しても同じように動くのである。これは人間の能力の勝負の面白さ、完璧ではない人間だからこそ起きうるドラマを一つを奪っている事にはならないだろうか?これは以前野球で問題となったストライクゾーン問題を発端とした、アンパイアの機械化議論と似ている気がしてならない。

一般ユーザーレベルではどうだろう。電動変速機は一般ユーザーレベルでは整備が難しく、故障すれば結局メーカー対応にならざるをえないというのは一番の問題だろう。またパーツの互換性が少ないのも相まって、出先での故障となれば即対応は難しく、近隣の自転車屋に飛び込んでも対応できないのが現状だろう。また互換性の少なさからセットで使わねばならず、懐にもとても厳しいものがある。

では電動変速はまったく不要なものなのだろうか?そんなことはないだろう、少なくとも選択肢としてはありだろう。メカに弱く、ただ楽しく走ることだけに専念したい人にとっては、またとない最高の道具である。電池切れのデメリットがあったにしても、それを補うに余りあるメリットが有るのだ。またワイヤー式ではある程度の定期的なメンテナンスを必要とするが、それが少ない事もメンテナンスが苦手なものにとっては嬉しい限りである。変速のオートメーション化とでも言うべき機能は、ユーザーを選ばない、つまり誰でも同じように扱えてしまうという最大のメリットがあるのだ。銀塩(フィルム)のマニュアル式一眼レフはユーザーを選んだが、今のデジタル一眼が誰にでも使えてしまうのと同じようなものだろう。

または握力が弱い人やハンディキャップを持った人にとっても、電動化されたことにより自転車を楽しめる様になったというのも大きなメリットだ。ただそんな中で大きな利益を生まない彼らのために積極的に何かをしようという企業は数少ない。結果論において電動変速機は本来のターゲット層ではなかった彼らにこそ、最も有意義な道具となる可能性がある。

結論としては、一般ユーザー向けには選択肢として存在するべきものであり、レース機材としては無くても良いといえるのではないだろうか。実際ワイヤー式を使用するキャノンデール、サクソ・ティンコフ。オメガファルマ・クイックステップが勝利を量産しているところからも、必要性が必ずしもあるわけではないことは明白だろう。一時自動車レースのF1で過剰なオートメーション化が進み、人間個々のテクニックや能力が無意味に成り兼ねないほどに乗り手を置き去りにしたメーカー同士の開発合戦が横行した。もう運転手なしの自動運転にすればいいのでとまで言われてしまい、結局多くの自動化パーツが禁止になった経緯がある。今自転車でもそういった議論があってもいい時期に来ているのではと思う。

”ユーザーのために”という言葉が時に開発合戦の言い訳に使われてはいないだろうか?ふとそんな疑問を感じてしまうことがある。開発合戦は時として人の目を曇らせてしまうことがある。問題提起というのはよりよい製品づくりへの糧であるはずだ。そんな声をいかに拾い上げるか否か、いかに活かして反映していくかは最終的にはメーカー次第である。でもその為にはタブーと言われようとも声を上げていくことが大切なのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿